PrologueⅡ
神様の娘たちの話
さて、長い眠りから目覚めて、見事な小世界を作り上げた女神エレスセリアですが、彼女はこの世界に足りないものがあることに気づきました。
それは、友達でした。いくら神様とはいえ、母エルテラのように命を作り出すことはできなかったのです。
ですからエレスセリアは、寂しくて仕方がありませんでした。どんなに素敵な世界があったとしても、そこにいるのが自分一人ではどうしようもありません。
そのとき彼女は、最初に作り出した扉の存在を思い出します。自分からそのノブに手をかけることはできませんが、外から、自分ではない誰かが来て開けてくれたならば……。
可能性はゼロではないはず、と、希望を信じた彼女は何日も願い続けました。どうかせめて、この扉に、私という存在に気づいてほしい。ただその一心でした。
そんなある日のこと。女神様の強い願いが届いたのでしょうか。一人の女の子がその扉を開けて、彼女の元へとやってきたのです。
ねえ、あなたは誰?ねえ、どこから来たの?私はエレスセリア。あなたのことをずっと待っていたわ!と。
女の子はあまりに突然の出来事に驚き、しばらく呆然としていましたが、やがて口を開き、
「私は……私の名前は」
と、ここまで言いかけて、なにか迷うような素振りを見せたあとに
「……私は、めぐる。巡瑠と申します。」
そう答えました。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
それからしばらくして、少しだけ打ち解けた様子のエレスセリアと巡瑠。エレスセリアは、自分の身に起きたことを打ち明けていました。自分が女神であること、この小世界を作ったこと、
聞けば彼女は、ある術師から囚われている身なのだそうです。現在は一時的に自由を与えられておりますが、二日も経てばあの術師の元へと帰らなければならないのですと、静かに呟く巡瑠を見て、女神様はその話を信じるしかありませんでした。
しかし、ここであきらめるわけにはいきません。せっかく友達になれたと思ったのに、彼女がいなくなってしまえば、またひとりぼっちに戻るのはいやでした。事実、ここに巡瑠がいることだって奇跡のようなものなのです。
どうにかして、その術師に巡瑠をあきらめてらうことはできないかと問いただしますが、彼女は首を横に振るばかり。
「音楽の女神、マシクをご存知ですか?」
よく知っているわ、私の母の姉ですもの。彼の方も封印されてしまった。そうエレスセリアが答えると、
「優しい巡瑠。私、あなたに会えてとっても幸せよ。あなたを手放すのは惜しいけれど、あなたが生きる意味はきっと、いま、ここにはないのね。
あなたは、誰かを救うために生まれたのかもしれない。そんな気がするの。だから、私はここであなたを独り占めすることはできない。」
ただ、あと一日だけ時間をちょうだい。と、最後に付け加えて。いま女神様がするべきこと。それは、彼女の自由を奪わないことでした。
いままでに見たこともないような不思議な格好をしたその女の子は、真っ赤な瞳をまんまるにして、この小さな世界に驚き、警戒している様子でした。それもそのはず、ここはそもそも鬱蒼とした森の奥なのです。洞窟の中に青空が広がっているだなんて、誰も思わないでしょう。
「ああ!どうかこちらへいらして!」
しかし当のエレスセリアはというと、思わず叫んでしまう程に、大喜びです。いまは風変わりな女の子の外見を気にしている暇などありません。こちらへいらして、と言っておきながら、自分でも気がつかないうちに彼女の方へと歩み寄ってゆきました。
女の子も、一瞬たじろぐような仕草をみせましたが、ゆっくりと近づいてきます。そうして女神様は駆け寄って女の子を抱きしめると、鳥の翼のような腕を掴み、一気にまくし立てました。
いま、時間がどれくらい経過しているかもまったくわからないこと。そのすべてを信じて、優しく話を聞いてくれた巡瑠。
女神様は幸せでした。自分がいま生きているということを、ここまで嬉しいと思ったことは、きっとないでしょう。なんといっても、こんなにも素晴らしい女の子と、彼女の名前の通り"巡り会えた"のですから。その出会いに感謝すると、彼女にひとつお願いをしました。
「ねえ、巡瑠。どうか、この世界に居てはくださらない?
私は、お花だって、お空だって、お菓子だって、なんでも作れるわ。けれども、命だけは作れない。だからずっと、ひとりぼっちで寂しかったの。」
すると巡瑠は、途端に表情を曇らせてこう答えました。
「……それは、なりません。」
「……申し遅れましたが、私は、マシクの子。いわば楽器なのです。封印された母を助けるべく、前世の記憶を頼りに東の国へと飛び立ちましたが、かの術師に騙され、捕まってしまいました。」
ですから自業自得なのです、と。彼女は、謝罪の言葉を交えて言いました。
エレスセリアは驚きました。まさか、彼女があのマシクの子孫だったなどと、思ってもみなかったのです。そういえば自分ばかりが話をして、たいせつな友達のことをなにも知らなかったわ、と、ここにきてやっと気がつきます。
囚われることの苦しみを知っているエレスセリアは、なんとかして彼女の力になりたいと思いましたが、まずここから出られないことにはなにもはじまりません。
自分にできることとは。女神様は考えると、しばしの沈黙の後に、項垂れる巡瑠を優しく抱きしめて こう伝えました。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
次の日、エレスセリアは5つの小さな箱を持って、巡瑠の前に現れました。
「あれから私、考えたの。だからこれはあなたへの最後のお願い。この箱を持って、島をぐるりと回ってきてはくれないかしら?
ぜんぶの場所に行く必要はないわ。あなたが好きなところで良いの。」
巡瑠が、一体何のために、と問うと、秘密。とだけ答えるエレスセリア。少し不審に思いながらも、頼み込まれた巡瑠は、そのお願いを断りきれませんでした。
そうして彼女が、何かに誘われるようにしてやってきたのがカルム島の最北端にある岬でした。
昔から、ここはあまり良い噂を聞かない場所なのですが……と、そう思った途端、
ピカッ!と、辺りに閃光がほとばしり、彼女は気を失ってしまいました。
それからどうやって、この洞窟に戻ってきたのかは分かりません。ただ、出かける前よりもずいぶん嬉しそうな顔のエレスセリアを見て、依頼を達成できたのだということだけは理解できました。
ただ、巡瑠はあの箱の行方が少しだけ気がかりでした。もしやと思い当たる節があったのですが、仮にもその勘が当たってしまったときのことを考えると、身震いするほど恐ろしくなるのです。
幼い女神様がこれからも女神様でありつづけるために、あの箱のことは隠し通すべきだと判断した巡瑠。静かに残りの時間を過ごすと、いよいよこの場を離れなければならない時がやってきました。
「巡瑠。愛しい巡瑠。ああ、本当にありがとう。あなたは私の最高の友達。
きっと、あなたが救う神様は、彼の方一人じゃないわ。だって、わたしはあなたに救ってもらったから。あなたは誰よりも特別な存在。いつかきっと、この洞窟に戻ってきてね。」
こうしてエレスセリアの その言葉を最後に、巡瑠は深々と礼をすると、ジャポネへと帰ってゆきました。
彼女の物語は、まだ始まったばかりです。